東京地方裁判所 平成7年(ワ)19049号 判決 1997年9月29日
主文
一 原告の主位的請求を棄却する。
二 被告は、原告から四二〇〇万円の支払を受けるのと引換えに、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。
三 原告のその余の予備的請求を棄却する。
四 訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
事実
第一 事案の概要
本件は、東京都心部において土地の再開発を手がけている大手の不動産業者である原告が、本件建物の敷地とその周辺の土地の再開発を計画し、その一環として、右再開発地域内に所在する本件建物の賃借人である被告に対し、再開発の公益性、土地の有効利用、本件建物の老朽化による建て替えの必要性等の正当事由があると主張して、賃貸借契約の解約の申入れをして本件建物の明渡しを求めるのに対し、被告が、本件建物において約三〇年間にわたり再生オフィス用家具の販売業を営んでおり、今後も本件建物の使用を継続する必要性があって、原告の右解約申入れには正当事由がないと主張して、解約の有効性を争う事案である。
第二 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主位的請求
(一) 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。
(二) 被告は、原告に対し、平成五年一一月一日から右明渡し済みまで一箇月三三万五〇〇〇円の割合による金員を支払え。
(三) 訴訟費用は被告の負担とする。
(四) 仮執行宣言
2 予備的請求
(一) 被告は、原告から二九〇〇万円又は裁判所が相当と認める金員の支払を受けるのと引換えに、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主位的請求に対し
(一) 原告の主位的請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
2 予備的請求に対し
(一) 原告の予備的請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第三 当事者の主張
一 請求原因
1(一) 訴外萩原峯太郎(以下「峯太郎」という。)は、昭和四二年六月ころ、訴外山崎武兵衛(以下「山崎」という。)から、東京都新宿区西五軒町<番地略>宅地76.37平方メートル(以下「本件土地」という。)を賃借しており、本件土地上に、同月一〇日ころ、別紙別件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を新築した。
(二) 峯太郎は、昭和四二年六月一五日、被告に対し、本件建物を、次の約定で賃貸し(以下「本件賃貸借契約」という。)、これを引き渡した。
① 賃料 月額一四万円
② 敷金 二〇〇万円
③ 期間 昭和四二年六月一五日から三年間
(三) 峯太郎は、昭和六一年六月二六日に死亡し、萩原孝哉及び若林貞子(以下「萩原ら」という。)らが、相続により借地権付きの本件建物の所有権を取得し(共有持分各二分の一)、本件賃貸借契約における貸主たる地位を承継した。
(四) 本件賃貸借契約は、三年毎に更新され、昭和六三年六月一五日に更新された後の約定は、次のとおりとなっている。
① 目的 スチール家具販売業に使用する。
② 賃料 月額三三万五〇〇〇円
③ 敷金 一〇〇万円
④ 期間 昭和六三年六月一五日から三年間
(五) 原告と山崎は、萩原らから、平成三年一二月二六日、本件建物を買い受けてその所有権を取得し(共有持分は、原告が一〇〇分の六五、山崎が一〇〇の三五)、本件賃貸借契約における貸主たる地位を承継した。
(六) 原告は、平成六年三月三〇日、山崎から、同人の本件建物に対する一〇〇分の三五の共有持分及びその敷地である本件土地を買い受け、本件建物及び本件土地の単独所有者となった。
2 原告と山崎は、平成五年四月二一日、被告に対し、本件建物の明渡しを求める調停を申し立て、同年五月一日に送達された調停申立書により、本件賃貸借契約の解約の申入れ(以下「本件解約申入れ」という。)の意思表示をしたので、同日から六箇月後の同年一〇月末日の経過により本件賃貸借契約は終了した。
3 本件解約申入れには、次のとおりの正当事由がある。
(一) 再開発による土地の有効利用と都市整備計画への参加
(1) 山崎は、昭和三二年ころから本件土地とその周辺の約八二〇七平方メートルの広大な土地(以下「本件開発地」という。)を所有し、これを細分化して、萩原らを含む約六二人の借地人に対し、普通建物所有目的で賃貸していた。
(2) 昭和六〇年代以降、東京都や新宿区の都心部耐震不燃化整備計画の一環として、低層建物密集地域の中高層化による再開発の推進が提唱され、本件開発地を所有する山崎も行政当局から再開発の協力を求められた。
(3) そこで、山崎は、東京都心部の各所で土地の再開発事業を手がけていた大手の不動産業者である原告に対し、本件開発地の再開発による有効利用と新宿区の都市整備計画への参加についての協力を求めた。
(4) 原告は、山崎の依頼を承諾し、平成二年ころから、本件開発地内の借地人及び山崎から土地の譲渡を受けていた土地所有者に対し、本件開発地の再開発への参加と協力を呼びかけたところ、同四年の年末までの間に、大部分の借地人及び土地所有者の同意を得て、再開発計画を具体化する見通しが出来た。そして、本件土地の借地人であった萩原らも、再開発計画の趣旨を理解し、前記のとおり、平成三年一二月二六日、借地権付きの本件建物を原告及び山崎に譲渡した。
(5) その後、原告は、平成六年一一月三〇日ころまでに、本件開発地内の土地のほとんどの所有権を取得した。
(6) また、原告は、平成八年九月ころまでに、本件開発地内の借地人三一名の賛同を得て再開発計画を進めた結果、等価交換の同意を得た者一五名、借地権譲渡の同意を得た者九名、等価交換又は借地権の譲渡についての合意がほぼ成立した者七名と、借地人の全員が再開発に賛同している。
(7) 原告は、本件開発地内に地上三八階建の住宅棟及び地上八階建の店舗及び事務所棟などの再開発ビル(以下「本件再開発ビル」という。)を建築する再開発計画(以下「本件再開発計画」という。)を立案し、平成九年九月には建築確認申請をして、同年一二月には本件再開発ビルの建築に着手する計画を進めている。
(8) 本件再開発計画は、新宿区や東京都の町づくりマスタープランに沿った住宅密集地域の有効利用に資するものであり、都心部の住宅密集地域の再開発により高層住宅化を推進しようとする国(建設省)の都市計画促進策にも適合するものである。
(二) 再開発における本件建物の敷地の必要性
本件建物の敷地である本件土地は、幹線道路である目白通りに面しているため、本件再開発ビルについて本件再開発計画どおりの建築容積を確保して、本件開発地の有効利用を図るためには、本件土地を歩道上の公開空地として確保する必要がある。
(三) 本件建物の老朽化
(1) 本件建物は、昭和四二年六月に建築された鉄骨造四階建の建物であって、建築後既に約三〇年が経過して、老朽化が著しく、屋根や外壁の腐食及び鉄骨部分の老朽化などのために各所に水漏れがあり、外壁モルタルの剥離や建物全体の倒壊というような不測の事態の発生も予想される状況となっている。
(2) なお、本件建物に応急的な補修措置を施すだけでも一五〇〇万円以上の費用を要するため、右の補修をするよりも、本件建物を取り壊し、その敷地である本件土地を原告の本件再開発計画に取り込んで有効利用を図るのが相当である。
(四) 被告の本件建物の使用の必要性の欠如
被告は、本件建物でスチール家具の販売業を営んでいるが、他の賃借ビルに移転して営業を継続することが容易であり、移転によっても営業上格別の損害を被ることはない。
4 本件賃貸借契約が終了した日の翌日である平成五年一一月一日以降の本件建物の賃料は、一箇月三三万五〇〇〇円を下らない。
5 原告は、被告に対し、平成九年四月二一日の本件第一三回口頭弁論期日において、本件解約申入れについての正当事由を補完するため、立退料として、二九〇〇万円又は裁判所が相当と認める金員を提供する旨を申し出た。
6 よって、原告は、被告に対し、本件賃貸借契約の終了に基づき、主位的に、本件建物の明渡し及び平成五年一一月一日から右明渡し済みまで一箇月三三万五〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を、予備的に、原告から二九〇〇万円又は裁判所が相当と認める立退料の支払を受けるのと引換えに、本件建物の明渡しを、求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の(一)ないし(六)の各事実は、認める。
2 同2のうち、原告と山崎が、平成五年四月二一日、被告に対し、本件建物の明渡しを求める調停を申し立て、同年五月一日に送達された調停申立書により本件解約申入れの意思表示をしたことは認めるが、同年一〇月末日の経過により本件賃貸借契約が終了したことは争う。
3(一) 同3(一)うち、(1)ないし(5)の各事実は認め、(6)の事実は否認し、(7)及び(8)の各事実は知らない。
原告は、その利益を図るために賃貸ビル建設を計画し、借家人に無断で借地権を買い受け、再開発の名の下に、被告に対して立退を要求しているにすぎず、本件解約申入れは、国や地方公共団体の市街地整備計画に基づくものではない。
(二) 同3(二)の事実は、知らない。
(三)(1) 同3(三)の(1)のうち、本件建物が、昭和四二年六月に建築された鉄骨造四階建の建物であって、建築後既に約三〇年が経過していることは認めるが、その余の事実は知らない。
(2) 同3(三)の(2)の事実は、知らない。
本件建物が老朽化した原因は、所有者が修繕義務を懈怠したことによるものである。被告は、平成六年九月、原告に対し、修繕を申し入れたが、原告はこれを放置している。
(四) 同3(四)の事実は、否認する。
4 同4の事実は、知らない。
5 同5の事実は、認める。
三 被告の主張(本件解約申入れについての正当事由の欠如)
1 本件建物の建築目的
被告は、本件建物の建築当初、萩原らの父である峯太郎から、被告が全館を使用するために便利な設計をしたいとの相談を受けた。そこで、被告は、一階を店舗、二階及び三階を作業場、四階を事務所としたい旨を希望したところ、本件建物は、そのように設計及び建築されたものであって、被告専用のビルということができる。
2 長期間にわたる営業
被告は、昭和四二年六月一五日、当時の所有者であった峯太郎から本件建物を賃借し、その後、所有者が、同六一年六月に萩原らへ、平成三年一二月に原告及び山崎へ、同六年三月に原告へとそれぞれ変わったものの、現在まで約三〇年間にわたり、三年毎に賃貸借契約の更新をして、本件建物において再生オフィス用家具の販売業を営み、売上げも順調に伸びている。
3 被告の営業場所
被告は、京橋で創業し、新橋、文京区と、その社名の示すとおり飯田橋を営業の中心地とすることを目指して活動してきた経緯があり、飯田橋の近くに所在する本件建物を本店所在地として確保する必要がある。
4 良好な立地条件
本件建物は、東京都心部に所在し、幹線道路に面しているなど、その立地条件が良く、賃料も低廉であって、本件建物に代わる建物を見つけることは困難である。
5 移転に伴う損失
被告が本件建物から移転するとなれば、移転先の立地条件は現在よりも劣悪となる反面、賃料は現在の約1.5倍となり、売上げは現在の三分の一以下となることが予想される。そして、右の予想を前提として、被告の第四〇期会計年度(平成八年一月から一二月まで)の損益を基準として試算すると、移転後には、少なくとも初年度において年間一六二五万八〇〇〇円、その後は年々損失が増加して一〇年間で合計三億八二三九万五〇〇〇円の損失を被ることが予想される。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1の事実は、知らない。
2 同2の事実は、認める。
3 同3の事実は、知らない。
4 同4の事実は、否認する。
5 同5の事実は、否認する。
第四 証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
理由
一 本件賃貸借契約と本件解約申入れの経緯などについて
請求原因1の(一)ないし(六)の各事実(本件建物についての本件賃貸借契約の経緯など)、同2のうち、原告と山崎が、平成五年四月二一日、被告に対し、本件建物の明渡しを求める調停を申し立て、同年五月一日に送達された調停申立書により本件解約申入れの意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
二 本件解約申入れについての正当事由の有無について
1 請求原因3(一)のうち、(1)ないし(5)の各事実、同3(三)の(1)のうち、本件建物が、昭和四二年六月に建築された鉄骨造四階建の建物であって、建築後既に約三〇年が経過していること、及び、被告の主張2の事実は、当事者間に争いがない。
2 前記一及び右1の事実に、証拠(<略>)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。
(一) 原告側の事情について
(1) 山崎は、昭和三二年ころから本件土地とその周辺の約八二〇七平方メートルの本件開発地を所有し、これを細分化して、萩原らを含む約六二人の借地人に対し、普通建物所有目的で賃貸していた。
(2) 昭和六〇年代以降、東京都や新宿区の都心における耐震不燃化整備計画の一環として、低層建物密集地域の中高層化による再開発が推進され、本件開発地も、右のような再開発を要する地域として位置づけられている。
(3) そこで、山崎は、東京都心部の各所で土地の再開発事業を手がけていた大手の不動産業者である原告に対し、本件開発地の再開発による有効利用と新宿区の都市整備計画への参加についての協力を求めた。
(4) 原告は、山崎の依頼を承諾し、平成元年一一月、山崎との間で、本件開発地を共同で開発する旨の協定を締結し、本件開発地内に、事務所及び住宅を中心とした再開発ビルを建築する合意をした。そして、原告は、平成二年ころから、本件開発地内の借地人及び土地所有者に対し、本件開発地の再開発への参加と協力を呼びかけたところ、平成四年初めころまでに、本件建物を含む本件開発地の東北ブロックのほとんどの借地権付き建物の買収を完了することができ、同年の年末までの間に、大部分の借地人及び土地所有者の同意を得て、再開発計画を具体化する見通しが出来た。なお、本件土地の借地人であった萩原らも、再開発計画の趣旨を理解し、平成三年一二月二六日、借地権付きの本件建物を、原告及び山崎に譲渡している。
(5) その後、原告は、平成六年一一月三〇日ころまでに、山崎の所有地を含む本件開発地内の土地のほとんどの所有権を単独で取得するに至った。
(6) また、原告は、本件開発地内に残る借地人三一名の賛同を得て再開発計画を進めた結果、現在、等価交換の同意を得た者一五名、借地権譲渡の同意を得た者九名、等価交換又は借地権の譲渡についての合意がほぼ成立した者七名と、その全員が再開発に賛同している状況にある。
(7) 原告は、平成七年ころにおいては、本件開発地内に、地上二〇階建と地上二一階建の二棟の、事務所、店舗、住宅、工場等の複合的なビル建築を計画していたが(甲第五号証が右計画書である。)、同九年に至り、地上三八階建と地上八階建の二棟の、主要な部分を分譲住宅とし、一部を工場、店舗、事務所などとするビル建築へと計画を修正している(甲第一五号証がその計画書である。)。
(8) 原告は、右のとおり、本件開発地内に地上三八階建の住宅棟及び地上八階建の店舗及び事務所棟などを建築する本件再開発計画を立案し、平成九年九月には建築確認申請をして、同年一二月には右の再開発ビルの建築に着手する計画を進めている。
(9) 本件建物の敷地である本件土地は、目白通りに面しているところ、原告が計画している再開発ビルについて、その計画どおりの建築容積を確保して、土地の有効利用の効果を上げるためには、本件土地を歩道上の公開空地として確保する必要がある。
(10) なお、本件開発地の付近は、新宿区が平成七年六月に作成した「都市マスタープラン(素案)」(甲第一号証の一)においては、住宅と都市型産業が立体的、平面的に共存する地域で、低層の老朽化した建築物の密集した地区や中小規模の工場と住宅の混在した地区、細い街路の多い地区など環境上の問題の多い地区であるとの指摘がされ、想定される環境整備の手法として、住工共存を前提とした共同化支援、住宅と工場の立体的分離、工場の地域内再配置などが挙げられている。
(11) また、東京都が平成五年に発表した「あなたのまちの地域危険度」(甲第二号証)によると、本件開発地の付近は、来るべき大災害に対して最も緊急の災害対策を要する地区とされ、その災害対策として、前記「都市マスタープラン(素案)」においては、建物の不燃化、オープンスペースの確保などの必要性が挙げられている。
(二) 本件建物の老朽化について
(1) 本件建物は、昭和四二年六月一〇日に新築された鉄骨造四階建の建物であり、建築後既に約三〇年が経過している。なお、本件建物の敷地である本件土地の面積は64.72平方メートルであり、平成九年における本件土地付近の時価は一平方メートル当たり約九四万円であって、平成九年における本件土地の更地価額は約六〇〇〇万円である。
(2) 原告は、平成六年に、本件建物の外壁が崩落して危険であるとの指摘を被告から受けたため、同年三月及び同八年六月に、外壁の修理をしたが、本件再開発計画を進めていたことから、必要最低限の補修をしたにすぎなかった。
(3) 本件建物は、現在、老朽化が著しく、屋根や外壁の腐食及び鉄骨部分の老化などが進行して各所に水漏れがあり、外壁モルタルの剥離や建物全体の倒壊というような不測の事態の発生も予想される状況となっている。そのため、本件建物に対して応急的な補修処置を施すだけでも、約一四四二万円の費用を要する。
(三) 被告側の事情について
(1) 被告は、昭和三二年に設立された再生オフィス用家具の販売等を業とする株式会社である。
(2) 被告は、本件建物の新築当時、峯太郎から、被告が全館を使用するために便利な設計をしたいとの相談を受けた。そこで、被告は、一階を店舗、二階及び三階を作業場、四階を事務所としたい旨を希望したところ、峯太郎は、被告の希望に沿うような設計をして、本件建物を建築した。
(3) 被告は、昭和四二年六月一五日、当時の所有者であった峯太郎から本件建物を賃借し、その後、所有者が、同六一年六月に萩原らへ、平成三年一二月に原告及び山崎へ、同六年三月に原告へとそれぞれ変わったものの、現在まで約三〇年間にわたり、三年毎に賃貸借契約の更新をして、本件建物において再生オフィス用家具の販売業を営んできた。そして、被告は、現在も、本件建物の一階で再生したオフィス用家具を展示し、二階を事務所とし、三階及び四階を展示室兼倉庫として使用している。
(4) 被告は、京橋で創業し、新橋、文京区と、その社名の示すとおり飯田橋を営業の中心地とすることを目指して活動してきた経緯があり、現在は、新宿区西五軒町所在の本件建物に本店を置き、浦和に集配倉庫を有し、また、岩手に三箇所、仙台、山形、福島及び千葉にそれぞれ直営店を有している。そして、東京における販売拠点としては、本件建物以外に世田谷に床面積約三一坪の店舗を有している。
(5) 被告の従業員としては、本件建物に代表者一名と営業及び経理等を担当する三名の合計四名がおり、世田谷の店舗には三名、地方の各直営店にはそれぞれ二名がいる。
(6) 被告の年間売上げは約四億〇二〇〇万円で、そのうち本件建物における年間売上げは約三六〇〇万円(被告の売上げ全体の約九パーセント)で、その約六割が粗利である。本件建物の店舗と世田谷の店舗の売上げを比較すると、世田谷の店舗の方が約二倍となっている。なお、被告代表者は、右のような状況を考慮して、立退条件いかんによっては、本件建物から退去することを必ずしも拒んではいない。
(7) 本件建物は、東京都心部に所在し、幹線道路である目白通りに面しており、立地条件が良く、賃料も、三年毎に約一〇パーセントの増額改定がされているが、現在月額三三万五〇〇〇円と低廉である。
(四) 本件解約申入れにおける正当事由の有無
(1)① 本件再開発計画は、原告の事業の一環として、原告が主導的役割を果たして計画し、かつ、推進されたものであって、東京都や新宿区などの行政当局が関与しているものではない。したがって、本件解約申入れは、第一義的には、本件建物周辺の建物を取り壊し、大規模なビルを建築し、これを分譲又は賃貸することによって、原告が経済的利益を享受することを目的とする本件再開発計画の一環としてされたものということができる。なお、本件再開発計画は、耐震性及び耐火性の高い柔構造の高層ビルを建築し、敷地の約七〇パーセントを公開された空地とするものであるため、低層の老朽化した建物の密集の解消及び建物の不燃化並びにオープンスペースの確保など、災害対策に資する面があることを否定することはできないが、そのような側面は、本件開発計画の結果生ずる第二次的なものであるにすぎない。
② また、原告の本件再開発計画は、平成七年ころにおいては、事務所、店舗、住宅及び工場等をバランスよく配置する計画であったものが、同九年ころにおいては、住宅の分譲を中心とする計画に変更されており、新宿区が本件建物周辺地域における環境整備手法として提言する住工共存を前提とした共同化支援、住宅と工場の立体的分離、工場の地域内再配置という側面において、若干後退していることも否定することができない。
③ さらに、本件建物は、老朽化してはいるが、朽廃の程度にまでは至っておらず、相当な修繕を行うことによって使用を続けることも可能であって、本件建物の老朽化の進行については、原告が再開発の計画を進める関係上、必要最低限の修繕をするにとどまっていることにもその一因があること、などが明らかである。
(2)① これに対し、被告は、本件建物を本店として約三〇年間にわたり家具の販売業を営んできたものであり、本件建物が位置する新宿区の目白通り沿いという立地は、右営業を行う上で好条件となっていること、本件建物の賃料は低額であること、被告の本件建物における年間売上げは約三六〇〇万円であること、本件建物は被告のみが使用する賃貸ビルとして新築された経緯があること、などが明らかである。
② しかし、被告は、東京都内において本件建物の外に世田谷にも店舗を有しており、同店舗の売上げは、本件建物における売上げの約二倍となっていること、被告は、地方にも直営店を有しており、本件建物における被告の売上げは、被告の売上げ全体の約九パーセントにすぎないこと、被告は、現在、四階建の本件建物の一階を再生家具の展示に、二階を事務所に、三階及び四階を展示室兼倉庫として使用しているものであって、本件建物を店舗として十分に有効利用しているとはいえないこと、被告代表者は、右のような状況を考慮して、立退条件いかんによっては、本件建物からの退去を受け入れる意向を有していること、なども明らかである。
(3) 以上の原被告双方の事情を総合的に考慮すると、原被告は、いずれも専ら経済的利益をめぐって本件解約申入れの正当事由を争っているにすぎないものであって、原告の本件建物の明渡しを求める必要性が、直ちには、被告の本件建物の使用の必要性を上回るものということはできない。したがって、原告の主位的請求は、失当というべきである。しかしながら、原告が、本件解約申入れについての補完として相当額の立退料の支払をすることにより、正当事由は補強され、正当事由が具備されるに至るものということができる。
(五) 立退料の額について
被告は、本件建物において既に約三〇年間にわたり営業をしてきたが、本件建物の老朽化は相当進行しており、外壁モルタルの剥離や建物全体の倒壊というような不測の事態の発生も予想される状況となっていること、本件建物の敷地である本件土地の平成九年における更地価額は約六〇〇〇万円であること、被告の本件建物における年間売上げは約三六〇〇万円であること、本件建物の賃料は現在月額三三万五〇〇〇円と低廉であること、原告は、本件解約申入れの正当事由を補完するための立退料として、二九〇〇万円又は裁判所が相当と認める金員の提供を申出ていること、その他本件に現れた諸般の事情を総合すると、本件解約申入れの正当事由を補完するための立退料としては、四二〇〇万円が相当である。なお、右認定の立退料の額は、原告が提供を申し出た額(二九〇〇万円)を上回るものであるが、原告は本件再開発計画を実現する強い意向を有していること及び弁論の全趣旨に照らせば、右の認定の金額は、原告の提示額と著しい差異を生じない範囲にあり、かつ、原告の意思にも反しないものと認められる。
三 したがって、原告が平成五年五月一日にした本件解約申入れは、その後六箇月を経過した同年一一月一日をもってその効果を生じ、同日限り本件賃貸借契約は終了したから、被告は、原告に対し、原告から四二〇〇万円の支払を受けるのと引換えに本件建物を明け渡すべき義務があるものというべきである。
四 結論
よって、原告の主位的請求は、理由がないからこれを棄却し、予備的請求は、原告から被告に対し立退料として四二〇〇万円を支払うのと引換えに本件建物の明渡しを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官井上繁規)
別紙<省略>